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天国のおばあちゃん

思い出

先ず始めに、この記事はブログにしようかどうか迷いました。

 

なぜなら、完全個人的な内容になっているからです。

 

東京N.I.C.E.というメディアは、記事の一つ一つを見てくれる人がいて、見てくれる人のお役に立ちたいと思って書いています。

 

この記事を書こうと思った理由は、自分の中で一度おばあちゃんとの思い出を整理したかったのと、おばあちゃんとの記憶を辿ることを目的としました。

 

記事を読んだあと、家族がいる皆様に、今一度「家族との時間」は大事なんだ。と感じていただけたらと思います。

 

少しでも多くの方の心に響けばと思い書くので、良かったら数分お時間いただければ幸いです。

 

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おばあちゃん

 

 

おばあちゃんとの記憶は、私が東京の某所に住んでいたころに遡ります。

 

まだ、小学校に上がる前です。

 

当時はおばあちゃんの家と私の家は一駅分の距離しか離れていなかったので、週末はよくおばあちゃんの家に遊びに行っていました。

 

おばあちゃんの家に遊びに行ってはリビングにある茶色の革張りのソファーをトランポリン替わりにして、いとこの子達とよく遊んでいた記憶があります。

 

そして、おばあちゃんの家に行くといつも美味しい果物やお菓子をもらえるのが楽しみでした。

 

子供心に覚えているのは、おばあちゃんが買ってきてくれたリンゴはなぜか非常に美味しかったこと。いつもリンゴには密がたっぷり入っていて、おばあちゃんは

 

「美味しいリンゴを選ぶのは得意なの」

 

と満面の笑みを浮かべて私にそう言っていました。

 

時は経ち、私は小学校低学年の頃には親の都合で引っ越しを余儀なくされ、おばあちゃんの家に頻繁に遊びに行ける距離ではない場所へと引っ越しをしました。

 

そのころから、おばあちゃんの家に行く頻度は徐々に減り、行っても年に一回か二回、お盆の時とお正月の時だけでした。

 

特にお正月におばあちゃんの家に行くのが楽しみだったのは、お年玉を必ずもらえたからです。笑

 

中学生になるころには、おばあちゃんの家に行くのは年に一回、お正月のときだけくらいで、その時に棚をガサゴソと物色しては、小さい頃に読んだ雑誌やフィギュアを探していました。

 

当時の私は

 

まだ、おばあちゃんこんな物をとってあるの?笑

 

くらいにしか思いませんでしたが、今思うと孫の大事な思い出を捨てれなかったのでしょうね。

 

今だからこそ、おばあちゃんの気持ちが少しはわかります。

 

しかし、そんな私は未だにおばあちゃんのことをよく知りません。

 

知っていることと言えば

 

・おじいちゃんは、自分の親が幼少の頃に亡くなり、女手一つで四人を育てあげたこと。

 

・昔は雑貨屋を営んでおり、年末になるとホウキを買いに来る人で忙しかったこと。

 

・機関車が通ると、洗濯物にススが付いたこと。

 

・犬を飼っていたこと。

 

はっきり言ってそれくらいです。

 

上記のことも、親から聞いた情報なので、直接おばあちゃんから聞いた情報ではありません。

 

おばあちゃんの家に泊まりにいくと、毎日おじいちゃんのお仏壇に線香を灯して、鈴をチーンと鳴らしてお祈りしていました。

 

そんな後ろ姿が未だに忘れられません。

 

おばあちゃんの家は、決して裕福とは言える家庭ではなかったと思いますが、それでも生活に困るような感じではなかったと思います。

 

私が高校生になるころには、お正月もおばあちゃんの家には遊びに行かず、友達と年越しをして楽しんでいました。

 

なので、10代後半の頃、おばあちゃんの家に行った記憶はほとんどありません。

 

20代になり、私は再び東京都心に仕事の関係で戻ることになりました。

 

その時、ハイエースに原付を積んで、一瞬だけおばあちゃんの家で預かってもらいました。

 

引っ越しで荷物を都心のアパートに置いてから、原付をおばあちゃんの家から引き取って、そのまま都心のアパートまで原付に乗って帰っている途中土砂降りに合い、びしょびしょでアパートに着いてから三日間高熱にうなされたことが記憶に覚えています。

 

その時は、段ボールの山の中で孤独に耐えながらひたすら寝て体調が回復することだけを祈るしかありませんでした。笑

 

私が再び、東京都心に引っ越して来たので、時間を見ておばあちゃんの家に行ってはタダ飯を食らい、お風呂に入り、適当なお礼を言ってはおばあちゃんの家を後にしていました。

 

おばあちゃんが漬ける漬物は世界で一番美味しかったな。

 

しかし、仕事やプライベートも忙しくなってきたのでまたおばあちゃんの家に行く機会は徐々に減っていきました。

 

おばあちゃん倒れる

 

 

おばあちゃんは日ごろから健康に気を遣って、どこに行くにも基本は歩いて行く人でした。

 

徒歩で一時間とか平気で歩くような人です。

 

アルコールを飲んでいる姿も、たばこも吸っている姿も見たことありませんでした。

 

それが突然、自宅を出てすぐのところでうずくまっていたところ、近所の人に119番され即刻そのまま入院となりました。

 

脳溢血だったそうです。

 

幸いにも、一命はとりとめましたが、そこから私の親とその兄弟は大変でした。

 

とにかくつきっきりの介護で、一週間、二週間泊まりっぱなしでおばあちゃんの面倒を交代で診ていました。

 

時に入院したり、時に退院したりと。

 

退院しても、介護ベッドの生活です。

 

私もおばあちゃんが入院しているときにお見舞いに行ったのですが、鼻にはチューブがささり、目はうつろで意識はないように感じました。

 

会話ができるような状態ではありません。

 

そんな介護生活を三年くらい続けたころ、おばあちゃんは突然天国に召されました。

 

お葬式

 

 

おばあちゃんが亡くなる直前には「そろそろ危ないかも?」という知らせは事前に受けていました。

 

なので、亡くなった直前は「あぁ、おばあちゃん亡くなったんだな」くらいの気持ちでした。

 

それから、通夜をやり、お葬式をして、お葬式に参列したのは近所の方やおばあちゃんとゆかりのある人、そして私を含めた孫たちでした。

 

お葬式はおばあちゃんの家で細々とやったのを覚えています。

 

私は心の中で

 

これでようやく、おじいちゃんに会えるね

 

と呟きました。

 

お葬式を終えて、私は仕事があったので喪服から着替えて仕事に向かいました。

 

そして、職場に着いて数時間仕事をしていたときです。

 

おばあちゃんとの記憶が突然フラッシュバックのように蘇りました。

 

そうしたらなぜでしょう、

 

目から大粒の涙がこぼれ落ちました。

 

仕事中なのに、周りに気づかれたらいけないと思いながらも目から涙がこぼれ落ちて止まりません。

 

そのまま、PCのモニターに隠れながら声を押し殺して泣き続けました。

 

あんなに優しかったおばあちゃんにもう二度と会えることはできないと思うと、悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。

 

その後

 

 

おばあちゃんが亡くなってから十数年。

 

今でも年に1回か2回はおばあちゃんのお墓参りに行きます。

 

時には強引に友人を連れてお墓参りをさせた記憶があります。笑

 

お墓を掃除して、花を活けて、手を合わせて、そうしたあとでいつも自分の近況報告をしています。

 

最後、お墓に向かって「じゃあ、また来るね」そうやって立ち去ります。

 

そんな私も、個人的な報告になってしまうのですが、2019年になって、新しい命を授かりました。

 

私にも子供ができたのです。

 

毎日、子供の世話で自分の時間が本当に無くなってしまったのですが、それでも幸せにやっています。

 

そんな矢先、両親が突然「孫の顔を見たい」ということで遠路はるばる私の住むところまで顔を見せに来ました。

 

両親がそう言ってくれたのは非常に嬉しかったです。なにせ、新生児の期間は一か月だけですからね。

 

両親が上京して、初孫を見せることができて、私の中で何か一つ親孝行ができたような気がしました。

 

両親からは冗談交じりに「もう一生、孫なんて見れないんじゃないかと思ったよ」と言われました。

 

そんな感じで、我が家でひと時の談笑を交えたあと、両親が突然、

 

これ、少ないけど

 

そう言って、父母両方から出産のご祝儀をそれぞれ頂きました。

 

私は「要らない要らない

 

と受け取りを拒否したのですが、それでも受け取って欲しいとのことでしぶしぶ受け取りました。

 

そのあとで突然母が

 

これは、おばあちゃんから

 

と言われて、ご祝儀袋を私に渡しました。

 

??

 

おばあちゃん??

 

いやいや、おばあちゃんはもう十数年前に亡くなっているから。と、そのご祝儀袋の意味がわかりません。

 

親が言うには

 

おばあちゃんは、孫に子供が産まれたときに少ないけどこれを渡して欲しい

 

そういって、なけなしのお金をコツコツ貯めて親に託していてくれたみたいです。

 

 

 

こんなの、重すぎて使えないよ。

 

 

 

両親にそう言ったのですが、おばあちゃんが命を削って自分のために用意してくれたお金なので受け取ることにしました。

 

おばあちゃんが元気だった頃に用意してくれていたお金なので、今から数えると大体20年前くらいには、このお金を私の両親に託していてくれた計算になります。

 

両親も私に、おばあちゃんの気持ちを渡すために20年金庫にずっとしまっていたのでしょう。

 

その後、数日が経ちお婆ちゃんからもらった出産祝いをATMに入れようと中身を見て驚きました。

 

 

全部旧札じゃん。

 

おばあちゃん、一体何年前から俺のために用意してくれていたの?

 

おばあちゃんから貰っているばかりで何もあげることはできなかったよ。

 

命を削って作ってくれたこの大金に直接お礼を言うことすらできないよ。

 

おばあちゃん孝行ができないのにずるいよ。。。。

 

おばあちゃんが、私と子供のためを想い、一枚一枚触れたそのお札を手放したくなかったのですが、手元に置いておいたら、一生使うことは出来ないのではと思い、そのままATMに入れました。

 

最後に

 

 

おばあちゃんから貰ったお札の中から、一枚だけ記念に取っておいて飾っています。

 

正直、このお札は私の命ある限りは一生使うことはできなさそうです。

 

おばあちゃんとの思い出は本当にたくさんたくさんたくさん数え切れないほどあります。

 

旅行とか一緒に行ったことは一度もありませんでしたが、いなげやにはよく一緒に行きました。

 

今でも、おばあちゃんのお墓参りのときには、おばあちゃんと手を繋いで行ったいなげやで仏花を買ってから、お墓参りをしています。

 

人の命には限りがあります。

 

それは年齢の問題ではありません。

 

身近にいる人が突然、亡くなってしまうことだってあります。

 

自分が突然亡くなってしまう可能性だってあります。

 

だからこそ、今を大事に生きてください。

 

一日一日が大切です。

 

自分の周りが幸せなら、あなたもきっと幸せになれるはずです。

 

後悔しない人生をどうか生きてください。

 

末筆ながら、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

また、次回からファッションをテーマに記事を書いていくので今後ともよろしくお願いします。